年明けから急遽middlecentreのSky-Hi entertainmentレーベルアーティスト、Erinaのアルバムジャケットデザインを任されてしまって、1週間程度の期間でデザイン一式を仕上げる強行日程でした。
まあ長年デザインをやってればそんなケースは良くあることで、Erina自身のイラストが多数あったことで「きっつい」仕事ってほどではありませんでした。コンテンツがあればデザイナーは本来の仕事ができます。
ここでふと、イラストレーターとデザイナーの根本的な違いを思い知ったのですよ。
音楽で言うと、イラストレーター(とか写真家とかのコンテンツクリエーター)は演奏家です。歌手も演奏家です。乱暴にまとめていうなら「表現者」ですね。
で、デザイナーは指揮者とかミキサー・プロデューサーです。
表現者をまとめてひとつの作品を構成する、デザイナーとはそういう仕事だと身をもって理解しました。
ちなみに、表現者の中には企画屋等も入ります。
デザイナーはまず聞き上手である必要がある反面、何もかも聞き入れるようでは単なる「使いっ走り」です。優れたオペレーターではありますが、プロではありません。
バランスをとりながらプロのデザイナーとしての意見やアイデアを差し入れることができなければなりません。
そう、最も重要なのが、プロとして依頼者の求めるモノを実現した上で、依頼者のイメージを超える作品を提供することです。これはプロフェッショナルでしかできないこと。
日本ではデザインをまだまだ軽視しているように感じます。ヨーロッパのデザイン先進国(イタリアやデンマーク、ポルトガル等)など雲の上の存在で、アメリカにようやく並んだレベルです(Apple等を代表に出されると厳しいけど…)。
「デザインなんてセンスがあればできる」とか、「楽しそうなことをやってる。絵が好きだから自分にもできる」とか、「結局デザインなんて好み」とか、そういう軽視が日本のデザインを並レベルに留めている原因です。
そんなモノだったら美術大学や専門学校などいらないし、良く考えてください、そもそもほとんどの人が良いという絶対的なデザインが存在しますよね。
それは好みやセンスではなく、人間が美しいと感じる価値観が普遍的に存在する、ということなんです。リアルなデザイナーはそれを求めて作り続けているんです。
一部日本批判と思われそうですが、日本は世界でも3本の指に入る(どころか最高の)デザイン文化を持っていると考えています。
個人的には、障子・畳・ふすまの完璧な構成、それにそこはかとない間を持つ淡い日本画(水墨画)が描かれているというだけで鳥肌モノです。和紙を通ってきたほのかな光のコントロールも併せて、これこそ言葉にならないほどの「ありえない」美しさです。
余計なモノを削り取って、最終的にあるものは「幽玄」。それが「ありえない」美しさの正体でしょう。
これは能楽が求めたものであって、そのレベルになると芸術も哲学も科学も境を失います。
デザインというより究極の芸術というべきなのかもしれません。
もっと身近な着物はそれに比べると動的なものですが、模様に模様を組み合わせるバランス(他の国ではほとんどない組み合わせ)、切れ端を出さない完璧なパターン、これぞ純粋なデザインといえるのかもしれません。
それにしても、現在の日本におけるデザインや視覚美術の専門教育はイマイチです。
それ以上に、一般教育ではデザインなど教育していないと言っていいでしょう
その辺も含めてまた書きますね。
2008/01/16
デザイナーのポジション
written by treatment head 時刻: 1:46
ラベル: デザインーアカデミック
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