2008/02/27

鳥は生きるために歌う

ウグイスを見ました。もう春も間近??寒いっすねぇ〜(笑)。

どうやら一般的にウグイスはメジロと間違われてるようです。
はっきり言うと、ウグイスは強烈に地味です。メジロの方が小さいけど、さわやかに目立ちます。ウグイスは「(茶色くて)気づきません(笑)」。



以前にもったいぶったウグイスの歌の秘密、ようやく公開しちゃいましょ。


まずはじめに、ウグイス(♂)のヒトたちは生まれつき「ほ〜、ほけきょっ」と歌えるわけではありません。
先輩に教わるのです。あれは本能ではなく引き継がれてきた文化なのです。


私の住む里山周辺には毎年ウグイスの若鳥が歌の修行に集まっているようです。
若い彼らの個性は本当にいろいろ。
・「ほ〜、ほけっ」まではいい声で練習するが、全部歌うと自信なさげでしょぼい(リハーサルプロ)。
・きちんと「ほ〜、ほけきょ!」と滑舌よく歌えるが、声がしょぼい(器用貧乏)。
・声が太くて素晴らしいが、どう聴いても「ほ〜、ほけきょ!」に聴こえない雑な技術。
・メインの「ほ〜、ほけきょ」はテキトーだが、「けきょけきょけきょけきょ」が超高度。
・声も歌も素晴らしいのに、自信がないのかほとんど歌わない。

そんな若者に歌を教えるベテランにも個性が。
・とにかく声、発声ともに素晴らしい歌だが、5回くらい歌って去っていく。
・太くて響く素晴らしい歌を歌うが、「ほ〜、ほけきょ!」に聴こえない。なのに何回でも歌って自信満々に教える。
・技術は完璧で模範的なウグイスの歌を歌うが、声が小さい(若鳥の声量に負けることもしばしば)。


5〜6年前にデビューして2〜3年前ベテランになったヒトで有名なのは「モチベーチャン」。
「ほ〜、ほけきょ」が、どう聴いても「ほ〜、モチベーチャン」にしか聴こえない歌い手です。
デビュー当時は自信なさげに歌ってたもんですが、中堅〜ベテランになってからは自信満々に「ほ〜、モチベーチャン!」と美しく太い声で歌ってました。しかもそれを学んだ若鳥までも…。「それはちょっと間違ってるよ」と教えてあげたい!!

こうやって伝統や方言は生まれていくんでしょうね。
「モチベーチャン」は鳥の歌と言語の世界をかいま見せてくれた最高のウグイスでした。寿命から考えると、もう天命を全うしたかもしれません。


本家「モチベーチャン」の声が聴けなくなった昨年の春、新たな冒険者が現れました。

彼は一人なのか二人なのか分かりませんが、「けきょけきょけきょ」を2音程ではなく3〜4音程使って歌うアナーキストです。
あまりに実験的なために、去年は夏までにスムースに歌えるレベルになりませんでしたが、これはすごいことです。

人間の音階は当初1つだけ、その後増えていったという説があります(否定されつつありますが…)。
理論的には3音階が把握できた段階で広がります。
4音階使って歌にするというのはすごいことで、ぽっと出の若ウグイスがそれをできたってことは、ウグイスの音階感覚は人間と同レベルなのかもしれません。


ウグイス、よもするとスズメより小さく地味な鳥。
その体重あたりの声量はトップかもしれません。※肺呼吸でなければ虫の方が上だと思いますが…




「鳥は生きるために歌う」
生殖のため=自己中心的に考えるなら、歌の名手が若者に歌を教えなどしないはず。
ところが、歌の名手である彼らは血縁など関係なしに、未熟な若鳥に歌を教えるのです。
名手である彼らも、元々は教わって歌がうまくなったことを覚えているんでしょう。
それは歌の名手が代々伝えてきた証、これは人間と何も変わらない高度な「文化」です。

野蛮で低レベルな争いに心を病むことなく、私たちもありのまま&高らかに歌って子孫に伝え、無理なく生きていきたいものです。


春先、ウグイスの歌修行を聴くにつけ思うのです。厳しい冬を細々と生き延び、「生きているから歌う」、「生きるために歌う」のだということを。

2008/02/23

正しいヒヨドリ

人間以外の生物で、最もいっちゃった高等生物といえばこいつら「ヒヨドリ」。

多くの鳥は歌って生きていくんですが(理想ですね!)、こいつらはバトるために生きてますね。敵味方関係なくバトります。でも、目的は私たちが理解できるよりずっと上にあるのかもしれません。


一般的にヒヨドリは、テリトリー意識が強いとか浅はかなほ乳類レベルの認識で語られますが、そんなつまらない意識で彼らがバトってるわけじゃないのは長く見ていれば感づくはず。
今までバトってた仲間でも、次の瞬間には同じ木にとまってまったりしてたり、一緒にほうれん草を食ってたりします(我が畑には迷惑…)。
そう、奴らにとってバトるのはテリトリー問題なんて単純なものじゃぁありません。


例えば、初冬〜冬の果実(みかん等)に始めに気づき、独占状態の一人のヒヨを見ました。
私たちのような自分勝手なほ乳類的がヤツなら、「俺が全部食ってやる!」ですよね。
確かにヒヨも誰も来なければ食ってます。そういうシチュエーションではなぜかつまらなそうなんですが…。
でも、近くの木(ハゲ坊主)に他のヒヨ(場合によってはその他小鳥)がたかった瞬間に嬉々として攻撃態勢に移ります。

ここまでは想定内なんですが、問題は攻撃しに飛び立ったヒヨドリが戻ってこないことです(笑)。


記憶力のない「バカ」な鳥だと判断するのは簡単なんですが、彼らの基準は野蛮な人間レベルの思考を超えた所にあるように思えてならないのです。
そう、ヒヨにとってそのような「バトル」行動はコミュニケーションであり、本当の争いではないのです。



コミュニケーションとは何か、表現とは何か、人生とは何か、自分の生きる意味とは何か、美しさとは何か、幸せとは何か、そしてその結果としての歌と音楽とデザイン。
人間は鳥と同じような理想を持っていますが、鳥は実行できていて、人間は理想だけでおおむね野蛮なまま。


高等生物の大先輩である鳥を見習って、人間達、がんばりましょう。

2008/02/15

Erina

年明けから忙しかったErinaのファーストアルバム「あたたかいもの」の仕事。
この2月10日にリリースパーティーを成功に収め、デザイナー的には一段落です。エイギョー的にはこれからですがね〜(腹黒笑)。


歌詞のシンプルさと隠された意味の深さ、曲(トラック)の透明感と作り込まれた複雑な折り目、総合的にいろいろな聴き方ができるアルバムかもしれません。ジャケデザインのポップさも含めてね!


デザインは私、イラストはErina自身が担当していますが、苦労しました〜。
なんてこともなく、早い段階でErinaの意向をつかめたので楽しく仕事できました。敵は締め切りまでの短い時間と盤面印刷のDICカラーの不安だけ!

納品されたCD、結局予想をちょっと外れだったのはCD盤面印刷(シルクスクリーン)の色だけでした。



そ〜そ〜、にぎやかなツグミの独り言に加え、どうやらシメも独り言をよく話していることに気づきました!
ジョウビタキといいシメといい、人間の注意を惹きたいがために話しているんじゃないか?とも思えるのです。プラス、良い声じゃない(笑)。

それと、またしてもツグミが漫画(とりのなんこ氏著「とりぱん」)のようにヒヨドリにいじめられてました。
ふと私と3mくらいの場所にいたツグミ、目が合うと逃げて少し離れた庭の木にとまる、と共にヒヨドリのドロップキック炸裂!!(大爆笑)その木には実などないんですよ。
無闇にヒヨドリから攻撃を受けるツグミ。良いのか?お前達!シベリアと日本、ずっとタフなサバイバルをくぐり抜けてきたはずなのに。


「ぺこぺこぺこ」っとヘンテコで大きな鳴き声で低空を飛んで逃げる鳥って何でしょ?中型の鳥です。
コジュケイだとかいう話もあるんですが、調べるとそういう鳴き方は書いていません。
そう、この鳴き方をするヤツもほぼ毎日庭にいます。もう1ヶ月以上正体不明…。

2008/02/09

にせツグミ

最近、あまり良い声じゃないのにずっと話してる鳥がいてうるさいんですよ。


正体はツグミ。


野鳥図鑑などを見ると、「渡りの直前(シベリア方面に渡る前)に鳴くことがあるが、基本的に鳴き声は聞かれない」とあります。
つまり鳴くことはほとんどない、、と。

ツグミの語源のひとつとして「口をつぐむ(黙ってる)」からツグミ、ってことなんですが、ウチに来る2羽のうちの1羽のツグミはしゃべりっぱなしです。どの鳥よりでかい独り言をずっと話してる上に、無意味に楽しそうだったり。

う〜ん、かわいいが、ヤツは正しいツグミなのか??




追記(本題??):
ツグミはその昔、かすみ網で渡りの時期(秋〜冬)に大量に捕獲されて食料にされてました。
かすみ網ってのは細くて見えない糸で編まれた網で、どんなに目のいい鳥でもかかってしまうものです。ちなみに今は全面禁止になっています。
極寒を逃れて幸せな日本列島を頼りにしてきてくれる方々を無条件に殺す。きれいな白鳥や鶴は殺さないのにね。まぁ、食べるためなのならちょっとは納得だけど…。

そのツグミ達が人間の近くにまた姿を現す…。
私たちは、彼らに許してもらったんですよ。


「鳥はバカだからすぐ忘れるんだ」と思われる方もいると思いますが、スズメが大量に虐殺(あえてそう書きます)されたことを彼らは未だに記憶していると言われます。
江戸時代のスズメは今よりずっと人間との距離が近かったのは史実から明らかなようです。公園のハトレベルですね。
明治以降に害鳥として駆除された経験が今も継承されてるのではないかと。
ツグミ以上の殺戮だったのか、未だスズメは人間を許していないように思います。


そうそう、カラスにゴミを荒らされたとか、カラスに襲われたとか、それでカラスを大量に処分(実際は殺戮)する、、、。
それで根本的な問題解決になったんですか??
カラスのアタックに命の危険を感じました?カラスに殺された人間はいませんよね。
それよりしつけのなっていない凶暴な家畜(犬ころ)に乳幼児が何人殺されたか知ってますか?
犬はペットでかわいいから駆除せず、野生のカラスは大量に殺してOK。

そういった判断、あの論理性が一切なく、理性や客観性を欠いた捕鯨反対と同じ臭いがするんですよねぇ。

結局、都会の雑な生活態度が「掃除屋」カラスを呼んだだけなんですよ。カラスは人間の鏡なんです。
私の田舎でのカラスはポジションをわきまえていて、半ば近所の住人的な存在。


近所のカラスがどういうヒトたちなのか、ちょっと書いてみます。

数年前、ハシボソカラス夫婦の子供が車にはねられて亡くなりました。轢かれたわけではないので、きれいな形で道路に横たわっている状態です。
カラス夫婦はその上にある電線から悲しそうに亡骸を毎日、2週間近く見続けていました。いつ見てもそこに2羽いたので、日中は食事もせずに慰めあっていたと思われます。
あの風景、カラスでも人間でも感情は何も変わらないことを思い知ります。
亡骸を片付けることも可能だったんですが、結局カラス夫婦が見守っているせいで何もできませんでした(恨まれる可能性もあるし)。

彼らがどれだけショックだったのか。
毎年いつも庭に来ていたそのカラス夫婦、再び現れたのは3年後でした。悲しみのあまり2年以上も山にこもっていたんでしょう。
ウチの庭には彼らファミリー以外が来ることはほとんどないので、その間カラスを庭で見ることはありませんでした。

本当に人間と同じ感情です。
そしてその次の年には子供を連れてきました。
それからはいつも近所に姿を現します。


高等生物の大先輩、鳥類。
人類は鳥から音楽を教えてもらい、デザインを教えてもらったのもおそらく間違いないでしょう。
ほ乳類で鳥や人間のように歌を歌うものはいませんし(例外:イルカ・クジラ類)、デザイン感覚があるものもいません(こちらは全くいない)。


そういう哲学で鳥中心のブログを書き続けてるんですが、最近ちょっと本音暴露気味。カドが立つかなぁ〜。

なんつって、カドが立つついでに言っちゃお。正直どんなほ乳類(人類含む)より鳥類の方がはるかに優れてると思ってます。
人類はもっと精進しなければならないと思います。「自分たちが最も優れてる」部分なんて思ってるほどないんですよ。
脳容積はネアンデルタール人に劣り、寿命の体重比においてもエセNo1(鳥類を完全無視※100年以上生きているコンゴウインコ(5kg以下)が実在する)。
犬猫相手に優位性を強調している視覚能力は明らかに鳥類に劣り、恒温動物としての歴史も鳥類の足下にもおよばない。


まあ、鳥類よりあらゆる面で劣っていることを人類は自覚したほうが良いと思いますよ。
少なくとも、愉快にあるがままの自然な人生を歩いていくこと、鳥達はできています。歪んだくだらない苦労(戦争はもちろん、経済に振り回されたり)を人類が続ける限り、鳥類よりはるかに低レベルだということですよ。



※ほ乳類からの反論は受け付けません。鳥類をはじめ、ほ乳類以外からの反論だけ受け付けます(笑)。

2008/02/08

バトルは嫌いなんですが…

オーストラリアを中心とした欧米の最近の捕鯨反対運動にはむかつきます。

スキンヘッドでいかつくて当時はいかしてたMidnight Oilのヴォーカル(ギャレット?)が閣僚になって捕鯨に反対してるんですが、どうやら脳みその中は若い頃から成長ゼロ、バカ&勢いだけの稚拙なパンク野郎のままなようです。
同意してる欧米各国(特にドイツ)も同レベルですね。



お前ら、油を取るだけのためにクジラを殺しまくってたのはどうコメントするんだ!!!!!!!!!!



反省してるならちゃんとコメントしてくれ。それなら少しは納得しますよ。
油取りだけの捕鯨に関してのコメントは、反捕鯨国から一度も聞いたことがありません。今の反捕鯨国の多くが油を取るためだけに捕鯨してたんですよ(肉は食べずに破棄)。


生息数が少ないならまだしも、知的レベルが高いというだけで保護に乗り出すのが気に喰わないんですね。
牛も豚も鶏も実は頭がいいし、よりレベルが低いと思われてる魚達にも感情や知性があるんです。
さらに、捕鯨対象のクジラの多くは牛レベルと言われています。

アングロサクソン系の国はヒステリックだと思っていたんですが、このことでよりはっきりしてきました。くそまじめなのは良い点なんですが、客観性をあっさり失うことがあまりにも多い。
「冷静に客観的に、過去を顧みて、よく&深く考えろ!」と言いたいですね。



まあ、今更クジラを食べなくてもやっていけるんですが、バイキング達(アイスランド&ノルウェー)と日本が長年続けてきた捕鯨に対して目くじら立てる意味が分からないんですよ。

生態系からするとバイキング達の地域と日本周辺にはクジラが多く、ほどほどの捕獲であればむしろバランスが良くなるはずなんです。クジラ達は魚を大量に消費するので、魚を多く消費する国にとってクジラを適度に調整するのは当然です。
またこれは、数百年来続けてきた関係でもあります。
ただし、捕鯨国は昔ながらの捕鯨量を保つ必要はあります。


バイキング達も日本も、捕鯨は命がけで行ってきました。
クジラよりも小さい船で、モリだけで戦ってきた歴史があります。
クジラのすべてを知り、有効利用してきたのは私たち(バイキング&日本)です。


喧嘩を売るようですが、英国伝統と言ってウサギを狩るってのは残酷でしょ。
猟銃で打って仕留めるならまだしも、猟犬のおもちゃになってぐちゃぐちゃに噛まれて殺されるウサギの気持ちを考えてください。
しかもそれを「スポーツ」って言い切って、獲物のウサギは単に勲章であり、食料ではありません。

人間が増やせる動物ならそんな残酷な殺し方をしていいのか?
まあ、そういう偽善に気づかない人たちにとっては良いんでしょうねぇ。

捕鯨では、急所を突いて即死させる努力を行っています。数百年の歴史から、たとえ獲物であっても苦痛を与えない「文化」があります。


難しい問題と思う人も多いかもしれませんが、実は簡単です。
植物でも動物でも、その命を奪って自らが生きている、その自覚を持つだけなんです。

2008/02/07

珍客

珍客ってほどでもないんでしょうが、ウチでははじめて見る三十三才が!!
三十三才と書いて「ミソサザイ」と読みます。


西洋の寓話では「鳥の王」だそうですが(by Wikipedia)、日本最小クラス、ちっちゃいです。すごく。

その勇敢さ故か、ガラスサッシに激突して脳しんとうを起こして10分ほど滞在していました。ガラス越しに至近距離で見られるとは。

他にもコジュケイがいるようなんですが、まだ確認しきれてません。


鳥は鳥のいるところに集まってくるみたいですね。猛禽類やカラスがいなければ誰彼なく。
ちなみに、ウチに来るカラスは田舎のハシボソガラスなんで小鳥たちを威圧する事もなく、小鳥たちもそんなに気にしないようです。のどかです。
そのカラス、小鳥たちが多いと別の場所でクールに何かしてますね。わきまえてます。


エサなどやっていないのに庭にやたら鳥が集まってくるんで鳥の話ばっかです。しばしご歓談を(笑)。


本当はヴォーカリスト「Erina」のファーストアルバムのジャケットやフライヤー・ポスターのデザイン、リリースイベントのディスプレイ等の仕事をこなしてて、そちらの話をしなければならないんですけど。急な仕事だったんですよ。

まぁまぁ、一段落したら書こうかと思います。

2008/02/03

オールスター

ヒヨドリ30、ジョウビタキ1、シメ1、ツグミ1、ハシボソガラス3
これがウチの庭のレギュラーメンバーです。なぜかスズメがいないんですが…。
というかヒヨドリ多すぎ!

よく見てると行動パターンがかなり違います。

荒々しいのはヒヨドリ。
食事がメインなのかバトルがメインなのか分からないくらい暴れ回ってます。
せっかく一羽でみかんにありつけてるのに、他のヒヨドリが来ると追いかけ回した上に結局戻ってきません。
結論:食事よりバトル

天然ボケなのはツグミ。
無意味なくらいコソコソ行動するくせに、地べたで10分以上ボケ〜っとしてたりすることもよくあります。
ヒヨドリにいじめられるのは当たり前の光景ですが、おそらくスズメにすごまれても逃げるんでしょうね。※スズメはそんなことしない。
でも悲壮感はなく、ひとりで楽しそうにしてる時もよくあります。

頭が良いのはジョウビタキでしょう。
庭に出て行くと、必ず視界内を飛んで人間の注意を惹こうとします。
こちらも観察しているんですが、彼らもこちらを観察しているのは間違いありません。
わざとヒヨドリの好物の植物にちょっかいを出して(ジョウビタキは虫食なので植物には興味ないはず)ヒヨドリをあおったり、ツグミの近くを飛んで驚かせたり。
小さくて無邪気なカラスというか、何だかいつも遊んでますね。

理性的なのはシメです。
冷静に周辺の状況を見ていて、ふたまわりも大きいツグミが危険ではないと判断して2~30cm程度なら気にせずに近寄ります。
また、比較的食性の似ているヒヨドリが見逃してる食べ物のところにいます。この辺もヒヨドリの動向を観察してるんでしょう。
でもすごいことに、シメが先客だったほうれん草にヒヨドリ(約15羽)がよって来た際に、シメがヒヨドリに喧嘩を売ったんです!
結局シメが引いたんですが、あの体の大きさの差で喧嘩を売るだけあっぱれ!


そんなわけで、庭を見飽きないこのごろです。